About Chikuro Hiroike
廣池千九郎
について
年表
教育愛に燃えた青年教師
廣池の生家
◆ 1866年 慶応2年 3月29日 廣池半六・りえの長男として出生。
◆ 1880年 明治13年 母校永添小学校の代用教員となる。
◆ 1885年 明治18年 形田小学校の教師となる。
◆ 1888年 明治21年 『新編小学修身用書』刊行。
◆ 1889年 明治22年 角(すみ)春子と結婚。
◆ 1890年 明治23年 教員互助会の設立に尽力する。
新編小学修身用書
中津歴史
史学普及雑誌
◆ 1891年 明治24年 『中津歴史』刊行。
◆ 1892年 明治25年 京都に出る。『史学普及雑誌』創刊。
◆ 1893年 明治26年 『皇室野史』刊行。
◆ 1894年 明治27年 『平安通志』の編集を依頼される。
◆ 1895年 明治28年 上京して『古事類苑』の編纂員となる。
『古事類苑』の編纂と東洋法制史研究
東洋法制史本論
◆ 1902年 明治35年 早稲田大学校外講師となる。
◆ 1905年 明治38年 『支那文典』『東洋法制史序論』刊行。
◆ 1907年 明治40年 神宮皇学館教授となる。
◆ 1908年 明治41年 清国へ学術調査に行く。『伊勢神宮』刊行。
◆ 1910年 明治43年 このころから労働問題の道徳的解決に尽力する。
◆ 1912年 大正元年 大病にかかる。法学博士の学位を授与される。
◆ 1915年 大正4年 『東洋法制史本論』『伊勢神宮と我国体』刊行。
学位記
新科学モラロジーの樹立と教育活動の展開
『道徳科学の論文』
道徳科学専攻塾の正門
◆ 1928年 昭和3年 『道徳科学の論文』初版発行。
◆ 1930年 昭和5年 「新科学モラロジー及び最高道徳の特質」をレコードに録音。
◆ 1931年 昭和6年 大阪毎日新聞社で講演会を開催する。
◆ 1932年 昭和7年 鈴木貫太郎侍従長に平和のための進言をする。
◆ 1935年 昭和10年 現在の千葉県柏市に道徳科学専攻塾を設立する。
◆ 1937年 昭和12年 賀陽宮恒憲王に御進講を行う(以後、10回)
◆ 1938年 昭和13年 6月4日 群馬県大穴温泉にて死去。