富岡鉄斎

鉄斎は、千九郎に大きな影響を与えた人物である。当時、鉄斎は57歳、千九郎は27歳であった。千九郎は鉄斎を師と仰いで傾倒したていた。
千九郎が、鉄斎と交際を始めた時期についてははっきりしないが、明治26年以前であることは確実である。それ以後、千九郎は頻繁に鉄斎とその子謙三と交流し、謙三は、この時期に千九郎が最も親しく交わった友人の一人であり、その交際は生涯にわたっている。
富岡鉄斎は天保7年に京都で生まれた。大国隆正に国学を、岩垣月洲らに漢学、陽明学、詩文などを学び、長崎画壇で南画を学んだ。若い頃は無名であった鉄斎も、だんだんと学者として有名になっていった。南画家としてもしだいに頭角を現し、京都画壇の中心的存在になった。また鉄斎は、蔵書家としても著名であり、古書の収集家でもあった。
鉄斎は、自分の蔵書をなかなか他人に見せない人であった。しかし、千九郎の学力と人格を認めた鉄斎は、二ヶ月の留守番を千九郎に頼み、その間蔵書の閲覧を許したという。
その後、千九郎は東京に出るが、鉄斎の恩を忘れることなく、報恩を尽くした。鉄斎は、千九郎の長年にわたる篤志に感じていた。ある年の新年の祝詞の中で、「およそ人間の品性を養う第一の方法は、古き誼を忘れないことにある」と、千九郎の徳行を賞揚している。

千九郎の恩師
小川 含章
雲照律師
井上 頼国
佐藤 誠実
穂積 陳重

千九郎と著名人
富岡 鉄斎
渋沢 栄一
山県 有朋
賀陽宮恒憲王
白鳥 庫吉
阪谷 芳郎

家族・門人想い出
父 半六
母 りえ
妻 春子
諸岡 長蔵
中野 金次郎
・長男 千英



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