穂積陳重

千九郎が最大の恩人として尊敬していた師。専門学に対する指導を受けたばかりでなく、人格的にも強い敬意を表していた。
千九郎が穂積に初めて会ったのは、『古事類苑』の編纂方法がひととおり身についた明治35年ごろ。その後、穂積の著書や論文を読み、その人格と思想に共鳴し、自分にとっての道徳の師として仰いでいる。
穂積陳重は、1856年生まれ。法学博士で、日本の法学会の先駆者として活躍した。東京帝国大学で教鞭をとり、文部省書記官などをつとめ、さらに貴族院議員となり、東京帝国大学の法科大学長、帝国学士院院長、枢密院議長などを歴任した。
穂積は千九郎に「法律学を科学的につくりあげるには、自然科学の力をまたなければならない」と助言している。その結果、千九郎は東京帝国大学理科大学で心理学を学んだり、医科・工科・農科などを巡り自然科学についての知識を深めた。その努力は「自然科学と精神科学との統合的研究」を実現し、モラロジーへと結びついていった。
千九郎は穂積の没後、遺品として聖徳太子の像を受け取っている。穂積は「学者の資格は単に学力が優秀であることにとどまらず、その品性が崇高偉大で百世の師となることにある」として、聖徳太子を尊敬し、その像を研究室に置いていた。千九郎はこの像を受け取ったことにより、穂積が自分に貴重な役割を与えてくれたと感激している。

千九郎の恩師
小川 含章
雲照律師
井上 頼国
佐藤 誠実
穂積 陳重

千九郎と著名人
富岡 鉄斎
渋沢 栄一
山県 有朋
賀陽宮恒憲王
白鳥 庫吉
阪谷 芳郎

家族・門人想い出
父 半六
母 りえ
妻 春子
諸岡 長蔵
中野 金次郎
・長男 千英



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