井上頼圀

井上は千九郎に救いの手をさしのべ、学者の道へと導いた人物であり、千九郎が尊敬してやまない師である。
千九郎は中津在住中より井上に私淑していたが、二人が初めて出会ったのは明治27年である。当時、千九郎は京都で自分の限界という大きな壁に悩まされていた。そこで井上は青年育成の心をもって千九郎を『古事類苑』の編纂員として抜擢し、上京の場を与えたのである。
井上頼国は、1839年生まれ。国学者で、青年時代に漢学・日本古医道を学ぶ。後に皇典講究所の設立に尽力し、『古事類苑』の編纂では事業終了まで顧問として務めた。後年は私塾神習舎を主宰し、教育者として国家の将来を担う青年の育成に情熱を傾けた。
井上は千九郎の皇室研究に対する熱意と実力を見抜いており、その研究成果を評価していたため「今日本において学者の従事すべき最も重大な研究が一つ残っている。それは日本国体の研究である。」と研究をすすめた。その時千九郎は実にありがたいと感激したという。
千九郎は井上の貴重な蔵書が散逸しないよう、一括して保存すべきことを提唱した。また実力があるにもかかわらず「わしは天爵はほしいが人爵などは絶対に不要だ」と学位をとっていないかった井上に学位取得を決意させたりと、井上の成功を心から願っていた。

千九郎の恩師
小川 含章
雲照律師
井上 頼国
佐藤 誠実
穂積 陳重

千九郎と著名人
富岡 鉄斎
渋沢 栄一
山県 有朋
賀陽宮恒憲王
白鳥 庫吉
阪谷 芳郎

家族・門人想い出
父 半六
母 りえ
妻 春子
諸岡 長蔵
中野 金次郎
・長男 千英



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