雲照律師

千九郎が「日本一学徳兼備の人」と呼んだ仏教研究の師。出会いは明治29年ごろ、千九郎が律師を訪ね、その教えを受けたことから始まっている。
雲照律師は、幕末から明治初期の混乱の中で真言宗の基礎を確立した名僧である。明治20年(1887)、東京目白に戒律学校(目白僧園)を設立し、僧侶の教育に努める一方、仏教・儒教・神道の三教に一貫する精神をもって、国民の道徳教育に尽力した。明治33年、74歳の時に『国民教育の方針』を発行し、その中で、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩(仏法僧の恩)を挙げて、四恩が道徳のもとであると強調している。
千九郎が指導を受けようとしたのは、律師の思想に共鳴したからである。京都時代から仏教に関心を持っていたことや『古事類苑』の宗教部の編纂にたずさわり、仏教の内容をより深く理解する必要性を感じていたことも関係している。律師は、国民の道徳教育を意図し、晩年は学校の設立を悲願とした。このような律師の思想は、千九郎の思想と基本線で一致するものであった。
千九郎は、雲照律師について「弘法大師以来の大人格者であって、まったく聖人の再来とも申すべき方」と述べている。

千九郎の恩師
小川 含章
雲照律師
井上 頼国
佐藤 誠実
穂積 陳重

千九郎と著名人
富岡 鉄斎
渋沢 栄一
山県 有朋
賀陽宮恒憲王
白鳥 庫吉
阪谷 芳郎

家族・門人想い出
父 半六
母 りえ
妻 春子
諸岡 長蔵
中野 金次郎
・長男 千英



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