小川含章

千九郎にとっての、初めての師と呼べる存在。その出会いは、千九郎の師範学校受験の失敗にあった。それまで補助教員として働いていた千九郎は、正規の教員資格を取るために受験をしたが失敗し、含章が設立した「麗澤館」に入った。含章はその創立者であった。
含章は1812年に町医者の子として生まれた。儒者として有名な帆足万里のもとで学び、万里の高弟として、また漢学者として活躍した。その後、私塾として麗澤館を開いた。この私塾はその後、政治結社明倫会の経営する学校となり、含章もまたその幹部に名を連ね、後進の指導にあたっていた。
含章は常に、日本の伝統文化を尊び、国家を思い、日本の将来を憂えていた。その心は若い千九郎の心を強く揺さぶった。千九郎は後年、含章との出会いと影響について「それが源となって、私のあらゆる研究が成り立って、ついに新科学道徳科学が成立いたすに至った」と語っている。
また「剣術や養蚕を通して、どのような境遇にも適用できるような実際家を育てることが学問本来のあり方である」として、実学を重視した。その精神は千九郎の学問観に大きな影響を与えた。これは千九郎の行った教育上の工夫にさまざまな形で現れている。
千九郎は含章を人生そのものの師として敬慕し続け、常にその遺志を受け継ぐことにつとめた。こうしてみると、受験の失敗はむしろ幸運な面もあったというべきだろう。

千九郎の恩師
小川 含章
雲照律師
井上 頼国
佐藤 誠実
穂積 陳重

千九郎と著名人
富岡 鉄斎
渋沢 栄一
山県 有朋
賀陽宮恒憲王
白鳥 庫吉
阪谷 芳郎

家族・門人想い出
父 半六
母 りえ
妻 春子
諸岡 長蔵
中野 金次郎
・長男 千英



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