谷川講堂開設
谷川講堂開設

千九郎の住まいだった
谷川麗澤館(手前)と神壇(奥)。

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 昭和11年(1936年)秋、千九郎は、群馬県谷川の温泉と土地を購入し、精神と肉体を共に救うための教育施設「谷川講堂」の建設に着手しました。
 千九郎は病身でありながら自ら陣頭指揮を執り、土地買収の交渉から建築設計にいたるまで、全身全霊を注ぎ込みます。
 谷川地区は、分譲のための伐採がすでに始まっていましたが、最初に千九郎は、まだ伐採されていない区画を買い求め、いちばん大きな山桜の古木の下を神壇の位置に定めました。それから、千九郎の住居「麗澤館」や小講堂などの建設が次々と進められていきました。
 建物は、極力安価な材料を使用し、杉皮を葺いた質素なものでした。しかし、源泉を汲み上げるポンプは、ドイツ製を特注するなど、重要な部分には十分な資金を懸けています。
 浴場には、千九郎が考案設計した枡形に区切られた一人用の浴槽を複数設置し、それぞれの湯船で湯量や温度調節が簡単にできるようにしました。
 寄宿舎の廊下は、必要なときには畳を敷いて寝ることができるように四尺幅にするなど、千九郎の合理的な考えが、施設の随所に生かされていきました。
 また、分譲中の温泉の権利は使用権のみでしたが、千九郎は、後々になって問題が生じることのないようにと、売り主と根気よく交渉して所有権も取得しています。
 このこともあって、谷川講堂建設には、千葉の道徳科学専攻塾の設立費用を上回る資金を投じることとなりました。これは千九郎の「金よりは命、特に最高道徳に更生せる人々の命を助くることが大切なり」(『日記』(6))という強い思いがあったからです。
 昭和12年1月、谷川講堂が完成します。千九郎は「余は従来いかなる場合にても全金力、全権力を費やしたることなし。しかしながら今回の谷川のことは実に世界人類霊肉併済の大善事業なるをもって、モラロジー研究所の全金力を費消せるなり」(同上)と日記に記しています。